ブログ小説【愛の飛行機雲第3話 高鍋湿原】

 

第3話 高鍋湿原あらすじ
高鍋湿原にイマムカシヤンマという新種のトンボが見つかった。
見つけたのは山本和行という南九州大学の学生と新田原基地のジェット戦闘機のパイロ二人。
とし子は二人から、トンボ学会報告書の挿絵を頼まれた。

 

高鍋湿原

 

イマムカシヤンマ

 

「湿原の開放は、五月の連休から、八月いっぱいです。奥さん」
桟道の入り口をくぐる時、保護観察員の老人が、くわえ煙草の煙を泳がせながら、話しかけてきた。
「大勢来ます?」
「まだ朝が早いからそうでもないけど、連休中は結構ね」
「ハッチョウトンボを見に?」
「今年はイマムカシヤンマだろうね。去年見つかったんだけど、大型の奴で、悠然と飛んでる姿を見ると、それはもう」
保護観察員の老人は自分の言葉に酔っているようだった。

 

「昨年、学生さん達が見つけたそうですね」
「知っているの?。奥さん」
「連休中はどうかしら…見られるの?」
「成虫は七月にはいってからだ」
九時を少し過ぎたところだった。

遠くの方に二、三人の姿が動いている。
高鍋湿原は手前が農業用の灌漑池になっており、その上に歩道専用の幅一メートルほどの吊り橋式の桟道がのびていた。
湿原は東西二カ所に分布している。金網の入場門を少し進んだところから、桟道は左右にそれぞれのびていた。

 

湿原を守るために、ここでは散策者が湿原に直接足を踏み入れることはできない。桟道の両サイドにも金網のフェンスが張られている。このためイマムカシヤンマも、盗採取から保護されていた。

とし子は西の湿原と書かれている案内板に向かって進んだ。こちらの方が広がりがある。尾鈴連山が遠くにかすんでいる。しばらく行くと桟道にかがみ込んで、雑草の中をのぞき込んでいる人影が見えてきた。

 

パイロットとの出会い

とし子は直感的にその人影が若者であることを見ぬいて、そっと背後に近づき、いきなり、
「わっ!」
と、声をあげた。
「おばさんでしたか」
若者はとし子が期待したほど、おどろかなかった。日焼けした顔に笑みがこぼれている。

 

「これでおあいこですね」
若者はとっくに、とし子が近づいてくるのを察していたように思われた。
「おばさんて呼ぶの、やめてくれない」
とし子は拍子抜けした。それで少しつっけんどんに言った。若者は戸惑いの表情を見せた。

「私の名前は一宮とし子。好きなように呼んでいいわよ。でも、おばさんはだめ!」
彼女は既婚者の強味で、落ち着いて言った。
「は、はい。僕、山本和行です。すみませんでした」
若者はとし子のパワーに、少し顔を赤らめながらお辞儀をした。桟道が少し揺れた。

 

「あすこにパイロットさんがいます。よろしければ紹介します」
若者は話題をそらすように前方の黒い人影に向かって、腕をのばした。桟道がカーブし、雑草が生い茂っているあたりで、人影は止まったり動いたりしている。
「今日は戦争ごっこ、お休み?」
「はい。連休中は訓練はないそうです。明日から家族が来るので、トンボの観察は今日しかできないと話していました」
「単身赴任なの」
とし子はつぶやいた。

雑草の影に見え隠れしている人影が、これまで想像していた戦闘的でたくましいジェット戦闘機のパイロットのイメージではなく、ありふれたサラリーマンパパに思えた。
「吉岡さーん」
前を歩いていた若者が、声をあげた。呼ばれた吉岡は、雑草の中から立ち上がり、顔をこちらに向けてきた。

 

「この前話した、おばさん、いや、一宮さんです」
「なによ、この前話したというのは」
とし子は声をたてた。
「悪いことではありません。心配しないでください」
若者は笑いながら答えた。
「迷惑よ。勝手なことをしゃべってもらっては」
この若者の前では、最初に出会った時の警戒心を解いてはならぬと言う思いがしてきた。柔軟な表情と態度の裏側には、別の考えが隠されているような気がする。

 

男の匂い

「吉岡といいます。山本君から聞いたのですが、一宮さんは大変、絵がお上手だそうですね」
礼儀正しい話し方だった。起立に近い姿勢で、両手をまっすぐ下にのばしている。濃いサングラスの中の表情は、ほとんどうかがうことはできない。赤銅色の頬がうごく。体型は筋肉質で上背がある。夫似だ。

とし子は若者にはない体臭を感じた。男の大人の匂いだ。長い航海を終えて、初めて夫を玄関に向かい入れた時の、すがりたくなるような安心感のする臭いだった。夫と同じ三〇歳代前半だろう。それは女の直感でわかる。

「いやだわ、そんなことを吹聴するなんて」
とし子は若者をにらんだ。目は笑っている。
「実は、これも山本君にお聞きになったと思いますが、今度二人で、トンボ学会報告書を出すのです。その表紙の挿し絵を、是非、一宮さんにお願いしたいと思いまして」
吉岡の話す時の姿勢は、くずれない。とし子にはその姿が新鮮に見えた。メリハリを感じる吉岡の態度は、夫を思い起こさせる。

普段、家にいる時の夫は、ジャージー姿でごろごろしているが、一度航海に出ると、規則正しい生活を送ると言う話を聞いたことがある。とし子は夫に似かよっている吉岡に親近感を覚えた。
「私の描く絵でよろしければ、お手伝いします。なにを描くのかしら」
「トンボです。イマムカシヤンマの雄姿を描いて欲しいのです」
「やったぁ!」
と、いう表情で、若者がすぐに声をあげた。

 

挿絵

「山本君、これで我々は観察に集中できるね」
「表紙の出来映えに負けないよう、成果を出さなくちゃ」
目の前で男達が喜び合っている。
「イマムカシヤンマって、そんなに貴重なトンボ?」
とし子は大学生やジェットパイロットが、トンボに熱中する様子が、今ひとつ理解できなかった。

 

二人の男達は休日のエネルギーをトンボの観察にそそいでいる。夫ならおそらく一瞥して、忘れ去る部類のものだ。
「イマムカシヤンマはこの湿原で発見された二例目の新種です。最初の奴はハッチョウトンボと言って、真っ赤で体長が二センチ前後の小型のトンボです。イマムカシヤンマは体長が一〇センチもあるのです」
パイロットはそう言うと、再び桟道の金網までのびた雑草をかき分けながら、湿地をのぞき込んだ。若者もつられるように、二、三歩先で、羽化の痕跡を探すために、桟道にしゃがみ込んだ。

 

とし子はイマムカシヤンマというトンボを見たことがない。昨年二人の男達が発見した新種であれば、まだ数も少ないのだろう。
幸い彼女には、子供の頃、家の前の田圃でよく見かけた、ギンヤンマの記憶が残っている。とりあえず、ギンヤンマの姿を思い起こしながら、スケッチして見ようと考えた。

 

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