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神武東征は日本最初の観光案内書だった

古代神話めぐり

神武天皇は日本国最初の天皇です。

幼いころ日向国で育ち、成長して東の国へ旅だつことを思いつきました。

東の国は、日出ずる国よりもはるかに、輝いているように見えたのです。

天照大御神から神武天皇 ウィベキィア

天照大御神から神武天皇 ウィベキィア

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日本書紀誕生秘話

 

神武天皇は天照大御神を祖として誕生し、ヒムカ国高原(狭野)の皇子原でおおきくなりました。

皇子原公園にある幼き日の神武天皇イメージ

皇子原公園にある幼き日の神武天皇イメージ

御池と高千穂峰

御池と高千穂峰

やがて成長すると、野心と希望をだいて東の海にむかって旅立っていきました。

その時の様子が書かれているのが、日本書紀とよんでいる大昔の歴史書です。

元明天皇(女性天皇)

 

「慈悲深く落ち着いた人柄であり、あでやかで美しい」女性天皇の時代に、日本書紀の編集ははじめられました。

編集を指揮したのは、皇族方でしたが、実際、日本書紀の編集にたずさわった12名のなかに、古代の東九州地域に関わりの深い氏族2名が、主力にくわわっていました。

日本誕生から神武天皇東征までの超古代史は、氏族2名の得意分野だったと推測されます。
2氏ががすでに目をとおしていた「日向旧事紀」や、ふるい家に伝わる口伝をもとに、お得意分野の天孫降臨から神武東征までの執筆をたんとうしました。

執筆しているなかで、二名には気になっていることがありました。

日本書紀のなかでイザナギノミコトを登場させてからずっと、日向からぬけだせていないことでした。

これでは、上司や元明天皇に申し訳なく考えて、神武天皇を日向から旅立たせることにしました。

神武天皇東征

 

神武天皇が美々津を発つ前に座ったとされる岩。

美々津の玄関先にあるお船出の郵便受け。

実際には、神武東征の時代の船は、せいぜい丸木舟程度であったと考えられる。

美々津の沖合。神武天皇一行を乗せた船は、島の間をとおって東征したと、言いつたえられている。
向こうに見える島の右にもう一つ小島がうかんでいる。

現在でも地元の漁船は、島と島の間は通らない。出港しても戻れないと信じている。

はじめは隼人か肥後の海岸から

 

2人の私案のなかには、高原皇子原の住まいから近い志布志の海岸から出立させる構想でしたが、古代薩摩は大和の抵抗勢力だったので、それではまずかろうとなりました。

次ぎにうかんだのが肥後の八代あたりの海岸からでした。

しかし肥後も、大和勢力と対峙しているためにボッとなりました。

2人は思案のあげくに、日向国のたてに伸びる海岸線の中間に近い美々津をえらびました。

美々津から先の旅程

 

氏族2名が直接、執筆したのはここまででした。

残りの船旅や各地の湊や上陸した様子は、その他の編集者たちにまかせました。

編集者たちは、東九州地域に関わりの深い氏族2名とおなじように、それぞれの地域の情報にくわしかったのです。

日本最初の観光案内書

 

完成した日本書紀は元明天皇に捧げられたのちに、数百冊の写本が作られ皇族方や、地方の国府へとどけられました。

人々は、イザナミノミコトの誕生から、神武東征までの歴史や、各地でくり広げられていく戦闘の様子に心をおどらせました。

最後に

 

神武天皇は日本の歴史書の中で、最初にあらわされた天皇です。

初代天皇のために、歴史編者たちは様々な装飾をほどこしました。

出発地を日向にしたのは、そこが天照大御神の伝承地であり、到着地を奈良の都にしたのは、そこが当時の首都だったからです。

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