映画【無法松の一生 阪東妻三郎1943年(昭和18年)版】

 

2021年10月7日 (木)NHKBSで放映されたデジタル修正版。

原作 岩下俊作の小説『富島松五郎伝』

映画監督 稲垣浩

撮影   宮川一夫

 

無法松の一生

 

Muhomatsu 1943.jpg

出典:ウィキペディア

 

運命的な出会い

小倉に無法松と呼ばれる人力俥夫の松五郎がいた。松五郎は博奕で故郷を追放されていたが舞い戻り、若松警察の撃剣の先生と喧嘩をして頭を割られ、木賃宿の宇和島屋で寝込んでいた。

 

そんな松五郎は喧嘩っ早いことで評判で、ある日、芝居小屋で仲間の熊吉と枡席でニンニクを炊いて嫌がらせをし、木戸番と喧嘩するが、自分の非を悟って素直に謝った。

松五郎は意気と侠気のある男だった。

 

松五郎は仲間と竹馬遊びをしていたが堀に落ちてけがをした少年・敏雄を助ける。

敏雄の父親は陸軍大尉の吉岡小太郎であり、これが縁で松五郎は吉岡家に出入りするようになった。

 

しかし、吉岡大尉は雨天の演習で風邪を引き急死した。夫人のよし子は、敏雄が気の弱いことを心配して松五郎を頼りにする。松五郎は夫人と敏雄に献身的に尽くしていくようになる。

 

運動会の飛び入り競争で、トップ争いをくり広げていると、少年・敏雄はこれまで見せたことのないような大声で松五郎を応援した。

夫人のよし子は成長した息子の姿に目を見張り、松五郎に礼を言う。

 

やがて敏雄は小倉中学の4年生になり、戦勝を祝う提灯行列の日に他校の生徒と喧嘩をして母をハラハラさせるが、松五郎は逆にそれを喜び喧嘩に加勢した。

 

その後敏雄は五高に入学するが、松五郎がいまだに自分を「ボンボン】と呼ぶことを嫌がる。

 

夫人のよし子はそのことを松五郎に告げるがいつとはなしに疎遠になっていった。

 

小倉祇園太鼓の日、夏休みのため敏雄が五高の先生を連れてきて帰省した。

本場の祇園太鼓を聞きたがっていた先生の案内役をしていた松五郎は、山車に乗って撥を取り太鼓を打つ。

 

それから数日後、松五郎は吉岡家を訪ね、夫人に対する思慕を打ち明けようとするが、「ワシの心は汚い」と一言言って、彼女のもとを去った。

 

その後、松五郎は酒に溺れ、遂に雪の中で倒れて死んだ。

 

彼の遺品の中には、夫人と敏雄名義の預金通帳と、吉岡家からもらった祝儀が手を付けずに残してあった。

 

場面展開とオーバラップ

 

場面展開はスパッ、スパッと切り替わっていく。

次の場面に移っていく手法は、人力車の車輪の大写しが使われている。

ゆっくりした車輪の回転、時には早まわりのような車輪の回転で、次の場面があらわれてくる。

 

いまのデジタル時代では当たり前のように使われているオーバラップ手法がフイルムの巻き戻し手法で実現されていることに驚く。

根気とやり直しのきかない精密な技量には目を見張るものがある。

 

バックミュージックに「桜桜「などの、日本人に親しみやすい曲が使われているのも心穏やかに感じられる。

 

映画の背景

 

この映画が撮影されたのが昭和18年。太平洋戦争の真っただ中。

当時の軍の検閲で衝突もあったようですが、曲がりなりにも映画が封切られて、戦争賛美の映画が氾濫する中で、この様な人間賛歌の映画が上映されたことは、当時の日本国民に一服の清涼剤になったのではないでしょうか。

 

夫人よし子の最期

夫人のよし子を演じたのは女優・園井恵子

上品で知性あふれる軍人の妻役を見事に演じています。

その園井恵子が原爆投下の日にヒロシマで被爆し、その月に原爆症で死亡したことをはじめてしりました。享年33歳。

 

戦争の悲惨さはこんなかたちでも後生に伝えているのです。

 

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