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西都原考古博物館のプロジェクター映像に魅せられて 謎の四世紀の旅

古代神話めぐり

西都原考古博物館内で、一日に何度か上映されるプロジェクターによる、男狭穂塚、女狭穂塚古墳築造の謎解き映像は、見るものにおどろきをもってせまってきます。

空白の四世紀。

謎の四世紀に眠る古墳。

無文字時代のドラマが想像をかきたててくれます。

西都原考古博物館プロジェクター映像より

西都原考古博物館プロジェクター映像より

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男狭穂塚古墳は未完成なのか

 

そうではなくて、完全な形で残されている女狭穂塚古墳の造営者による、男狭穂塚古墳の破壊説なのか。

いままで想像しなかったアプローチから、見るものにせまってきます。

両古墳の長さのちがい

 

西都原考古博物館プロジェクター映像より

西都原考古博物館プロジェクター映像より

謎の原因は、二つの大型前方後円墳の前方部の方形状の長さのちがいからきています。

男狭穂塚古墳の前方部の方形状の長さが、女狭穂塚古墳の長さの半分以下しかないのです。

そのことは、前方後円墳の前方部の長さを、女狭穂塚古墳を基準にしているから、謎がうまれるのでしょうね。

全国には、前方後円墳と名のつく古墳群が、4800基~5200基程度現存するとされています。

その中で最大の前方後円墳は、大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)いわゆる、仁徳天皇陵古墳です。
(仁徳天皇のお墓と決定しているわけではない)

仁徳天皇と女狭穂塚古墳の築造とは、すこし関係があるかも。

どんな関係があるのか、楽しみ。

全国規模のおおきさでいうと、西都原の女狭穂塚古墳は49位、男狭穂塚古墳は54位に位置づけられています。

西都原考古博物館プロジェクター映像より

西都原考古博物館プロジェクター映像より

前方後円墳のながれ

 

前方後円墳が我が国に登場するのは、卑弥呼が活躍した三世紀ごろと推定されています。

その頃の前方後円墳のかたちのなかには、前方部が男狭穂塚古墳のような短形のものもありました。

この形こそが、前方後円墳のはじまりだったのかもしれません。

ということは、西都原の男狭穂塚古墳は、前方後円墳草創期に築造されたと考えても、不思議ではありません。

その姿が、完成形だったのです。

当時の「ヤマト王権の首都は、現在の纏向遺跡(まきむく)とよばれている奈良県桜井市の三輪山麓にありました。

全国規模10位の箸墓(はしはか)古墳をはじめとして、多くの前方後円墳があり、短形の前方部を持つ前方後円墳も、その一帯で出現しています。

西都原考古博物館プロジェクター映像より

西都原考古博物館プロジェクター映像より 一部加工

 

ヤマト政権のかげ

 

男狭穂塚古墳の埋葬者は、当時の「ヤマト王権の」とのつながりが、考えられます。

卑弥呼が活躍していた三世紀頃のことです。

その時代、日本を統治していた天皇は、十二代景行天皇です。

その頃、日向国をとりしきっていたのは景行天皇に指名された豊国別大君という人物でした。いまの県知事的な身分でしょう。

男狭穂塚古墳の埋葬者は、彼ではないでしょうか。

 

女狭穂塚古墳の埋葬者は果たして女性なのか

 

西都原考古博物館のプロジェクター映像は、男狭穂塚古墳の短形前方部のかたちに対して、あれは、女狭穂塚古墳による破壊なのか!!と、せまります。

このイメージを発案した映像作家の想像力には、感服します。

しかしそれは、男狭穂塚古墳、女狭穂塚古墳の築造時期を同じテーブルで考えるからそうなるのであって、テーブル同士をすこしはなして考えてみると、別の発想がうまれてきます。

女狭穂塚古墳の埋葬者は諸県の君牛諸井

 

諸県の君牛諸井は第十五代応神天皇時代の、諸方地方を支配にする豪族です。

若い頃に、応神天皇のもとめに応じて、ヤマトの首都にでむいていました。

そこで出会ったのが、のちに妻となる大原妃です。

大原妃は応神天皇の遠祖の血をひく女性でした。

大原妃をともなって帰郷した諸県の君牛諸井は、諸方地方の豪族から、日向国全体を統治する国府長官に任命されていました。

夫婦の間には、のちに仁徳天皇のお妃になられる、髪長姫が誕生しました。

わたしも、この考えに賛成します。

そんな流れのなかで、女狭穂塚古墳は築造されていったと考えられます。

なぜ女狭穂塚古墳なのか

 

造営者の諸県の君牛諸井は隣接して男狭穂塚古墳をふたつならべるのは不自然だし、自分の名をとどめるよりも、仁徳天皇の妃になられた娘の髪長姫を称えるために、女狭穂塚古墳とよぶようにしたのです。

その傍証として、女狭穂塚古墳の西側に隣接して、170号古墳があります。

宝物古墳のもつ意味

 

女狭穂塚古墳の宝物館のような位置づけの古墳です。

そこからは、舟形埴輪、子持ち屋根付き埴輪が出土しています。

舟形埴輪は、髪長姫が日向灘からヤマトへむかうためにのった船。

子持ち屋根付き埴輪は、諸県の君牛諸井一家の屋敷であったことが想像できます。

謎の四世紀

 

男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳をはじめとして、西都原古墳群にひしめく謎は、謎の四世紀のなかでくり広げられていったのです。

最後に

 

謎の四世紀に眠る古墳。

無文字時代のドラマが西都原古墳群には、数多くあります。

400基をこす古墳の埋葬者のほとんどは、まだ判明していないのです。

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