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【西都原】男狭穂塚・女狭穂塚古墳には髪長姫の両親が葬られている

古代神話めぐり

西都原古墳群を代表するのが、男狭穂塚・女狭穂塚古墳です。

現在まで二つの古墳とも埋葬者は特定されていません。

謎の四世紀とよばれ、無文字時代の構造物なので、いまだに、人々に解けない謎と夢を与えつづけています。

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巨大古墳の謎

 

大きな古墳なので、建造当時の日向国府を代表するような権力者か実力者の古墳であることにはまちがいありません。

権力者・実力者とは一体だれなのか

 

まず瓊瓊杵尊=(ニニギノミコト)と妻のコノハナサクヤヒメ古墳とされていました。

でも、ニニギノミコトではあまりにも時代がさかのぼります。

神話時代の神様です。

付属の古墳が示すもの

 

この古墳が造られたのが5世紀ごろと考えられていますから、果たして、その時代に神話世界が系統立てて知られていたのかも、疑問です。

男狭穂塚古墳の付属の古墳がすぐ西にあります。

そこからは舟形埴輪と子持ち屋根付き埴輪が出土しています。

子持ち屋根付き埴輪は、男狭穂塚古墳を造った人物の住居と考えられます。

舟形埴輪は、当時最先端の船舶だったと考えられます。

この二つの埴輪から導きだされるのは、諸方の君牛諸井と娘の髪長姫です。

諸方の君牛諸井一家は子持ちや寝付きの屋敷に住み、髪長姫は当時最先端の船舶にのって、大和の次期天皇になられる大雀命(後の仁徳天皇)に、旅立っていったのです。

妻の抵抗

 

妻の大原妃とは、牛諸井が青年期に大和に出張しているときに知り合いました。
応神天皇家の遠祖の血をひくだけに、気品がありました。

大原妃の肌にふれるのは、春に西都原の山桜をめでて、まだ酔いの残っていた晩以来のことでした。

しばらく肌を抱いていても、大原妃の肌には春の夜のような温もりが感じられません。
「何かあったのか」
牛諸井は大原妃の顔をのぞきこみました。

「近頃、私のことをお忘れのようで」
大原妃の声は冷めていました。

「ご無沙汰をしていた」
牛諸井は、声音をやわらげて、妃の肌をひきよせました。

「あなた勘違いをされているようで」
大原妃は牛諸井の手を肌からひきはぐようにしました。

「私の墳墓はどうなさいます」
牛諸井は思わず、胸にはわせていた手をひきました。

西都原考古博物館映像引用

西都原考古博物館映像引用

西都原考古博物館映像引用

西都原考古博物館映像引用

最後に

 

現在まで二つの古墳とも埋葬者は特定されていません。

謎の四世紀とよばれ、無文字時代の構造物なので、いまだに、人々に解けない謎と夢を与えつづけています。

男狭穂塚古墳は何故未完成なのか。

女狭穂塚古墳のあるじに破壊されたのか。

なにか手がかりが欲しいものです。

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