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【卑弥呼】千三百年まえの伝承地が今も残る宮﨑平野を写真で旅する

古代神話めぐり

卑弥呼が最初に登場するのは、中国の歴史書「魏志倭人伝」です。

中国からやって来た調査団に、当時の倭国の首都、伊都国の係官は、ここから水行10日、陸行1月となる地に、邪馬台国があります。

その土地は、一年中気候温暖で、食物も良く育ちます。

そこに暮らす女性は、嫉妬もしません。

占い、予言をする女性が国をおさめて上手くいっています。

と、中国の調査団にのべました。

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日御子 卑弥呼 天照大御神は同一人物だった

 

中国の調査団は、伊都国の係官の報告を忠実に筆記しました。

ただ日御子の字面は日御子ではなく、中国式の卑弥呼と記されました。

日御子が日本で天照大御神となったのは、日御子の時代よりも400年~500年あとに編さんされた【日本書紀」【古事記」からです。

宮﨑平野古代神話写真めぐり

 

これらを踏まえて、宮﨑平野に、いまも残る卑弥呼(日御子 天照大御神)伝承地を見ていきましょう

宮﨑西バイパス道路

宮﨑西バイパス道路

上北は「神がきた」とよめます。

どこにきたか?。

上北方バス停

上北方バス停

皇宮跡

 

ここに来ました。

現在の上北方の圏内です。

この皇宮跡は、すでに神武天皇が美々津を出発する前に住んでいたと伝えられている聖地です。

神武天皇の祖先とされている天照大御神は(日御子)はこの地に、天降りされたのです。

宮﨑神宮皇宮跡

宮﨑神宮皇宮跡

近くには岩戸神社もあった

 

岩戸といえば、天岩戸神社がよく知れれています。

その神社が、「神がきた」場所の圏内にあるのです。

神社の境内には、横穴式墳墓が今もあります。

横穴式墳墓は、南九州独自の古代墓で、宮﨑平野にも多数残っています。

天岩戸といえば卑弥呼(日御子 天照大御神)の雲隠れが有名です。

この神社は、小高い丘の上にあって、裏手はほぼ垂直の崖になっています。

けっして、後付けの神社でないことがわかります。

岩戸神社

岩戸神社

横穴墳墓

横穴墳墓

案内板

案内板

卑弥呼(日御子 天照大御神)の先導の鳥は

 

ニワトリとされています。

ニワトリが、どこか遠いところから、この上北の地に卑弥呼(日御子 天照大御神)を、先導してきたのです。

ニワトリといえばカシワですね。

上北に隣接する西を「柏田」とよびます。

カシワと田んぼは当時から重要でした。

柏田橋

柏田橋

五十鈴川

 

柏田橋の下をながれるのが五十鈴川です。

三重県の伊勢市にも同名の川があります。

そちらのほうの伝説には、倭姫命(ヤマト媛)が御裳のすその汚れを濯いだという伝説があり、御裳濯川(みもすそがわ)の異名を持ち、古くから清流とされています。

五十鈴川標識

十鈴川標識

古代に、はよう壁もなく、清流が流れ下っていたことが想像できます。

この五十鈴川でも、すそが汚れたら、すすぐこともできたでしょうし、手洗いもできたはずです。

五十鈴川

五十鈴川

笠置山(かさごやま)古墳の謎

 

かさごやま遠望

かさごやま遠望

 

この古墳は一般的には、ほぼ知られていません。

地元のアマチュア考古学者によって、かろうじて世に出ました。

古墳の造営の古さからいうと、三世紀初めから二世紀後半にまでさかのぼる可能性もあるようです。

一般に古墳のはじまりは、三世紀後半から四世紀初めとされています。

それよりも100年前後さかのぼるのです。

そのことをあまり大々的にいうと、ヤマト政権の成り立ちにも影響してくるので、既存の考古学者たちは笠置山(かさごやま)古墳を知らないふりをしているのかもしれません。

九州電力柏田変電所の裏に林立する高圧鉄塔の丘が、古代の前方後円墳のあるところだといいます。

いまは、鉄塔の間をぬうようにして、宮﨑市街地を迂回するバイパス道路が通っています。

本格的な調査がおこなわれないままに、古墳はほぼ破壊されてしまいました。

卑弥呼と共に100人余りが殉死した墓があった!

卑弥呼が死んだ時、卑弥呼と共に100人余りが殉死したとされいます。

卑弥呼の墓の周辺には、100人の殉死者の墓がなければおかしいはずです。

笠置山古墳には、これがあったようです。

穴を掘っただけの土壙墓が、整然と並んでおり、推定でその数は100基ほどになるのだとか。

今まで、卑弥呼の墓ではないかといわれている古墳は数多くあっても、殉死者の墓を伴っていた話はききません。

しかし、死後の卑弥呼を守り、お世話をする為の殉死者が、墓も無く粗末に扱われる事は考えられない。

卑弥呼の墓の周辺には、必ず彼等の墓があるはずなに、考古学者たちはそのことに触れようとはしていません。

かさごやま古墳

かさごやま古墳

まとめ

 

宮﨑平野のほぼ五キロ圏内にこれだけまとまって、卑弥呼(日御子 天照大御神)伝承地があるのにおどろきました。

天照大神が天降ったのは高天原で、岩隠れしたのは高千穂の岩戸だとされています。

現地に行ってみればわかることですが、いまも交通の難所です。

古代、あのような辺境の場所で神々は会合したのでしょうか。

宮﨑平野であれば、いざなぎの尊が身を清めた御池や、天照大御神時代の生目古墳群もあります。

すこし北に進めば、西都原古墳群がひしめく西都原があります。

未だ謎は解けません。

天岩戸洞窟神社

天岩戸洞窟神社

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